設立の思い(7期目のはじまり)
- tomohisa kumagai
- 7月1日
- 読了時間: 6分
くま力学研究所は今月(令和7年の7月)から7期目に入りました。
ここで、設立の経緯と代表の思いをお話させてください。下に自分語りの拙文を掲載いたしますが、YouTube「お絵かきムービー」のほうが面白いと思いますので、環境が許す方はぜひ音声をONにして動画をご覧ください。(先に文章を読んでしまうと、ネタバレとなり感動が薄まってしまう重大な懸念がございますのでご注意ください。)
原体験
私は、子供のころから機械や乗り物が好きな少年でした。断片的な記憶(原体験)としては、
F1レース(マクラーレン・ホンダ全盛期)、
ルマン24時間レース(マツダ車の優勝)、
鈴鹿8時間耐久ロードレース(ワイン・ガードナー全盛期)
などが印象的です。
その流れで、大学は阪大基礎工学部の機械工学科、バイクで鈴鹿サンデーレースにも出場しました。レースは人より速く走りたいという闘争心よりも、憧れの世界に自ら参加したい、エンジンとビークルダイナミクスについて深く理解したい、という好奇心で走っていました。
会社員時代と果たせなかった思い
新卒で、タイヤメーカーに就職しました。ものづくりに携われることがとても嬉しかった半面、自分がタイヤのことを知らなくても、タイヤが出来てしまうことに戸惑った部分もあります。今考えると、大きな会社で組織としてものづくりをしている中、個々のメンバーがタイヤのことをすべてわかった上で設計せよ、など求めるべくもないことは明らかなのですが、当時の心持としては、設計も実車評価も生技も全部カバーできるようになりたかった。
タイヤの設計でひとつ難しかったことを上げると、タイヤはサスペンションはじめとする操安システムの一部であり、評価はシステムレベル(つまり、クルマ)で行うのに、部品設計者はタイヤメーカー、サスペンションメーカーと別組織で行っていることでした。所謂すり合わせ開発ですが、OEMからそれぞれの部品サプライヤに評価結果が届き、各社それぞれ「勘・経験・度胸」で改良を考えていたのでした。この立場では、なかなか工学的な積み重ねは難しいな、と感じていました。
それで、ものづくりの現場からは離れることを覚悟して、理詰めで仕事ができそうなシミュレーションソフト販売の会社に転職しました。当時はシミュレーションもまだまだ未成熟な時代で、ソフトウェア自体もその用途も発展途上(バグも色々ありました、それを特定するのがおそらく日本一得意でしたが)、なかなかシミュレーションの精度が出にくい現実に対して、どうやって開発に生かしてゆくのか模索しているような状況でした。そんな中で、シミュレーション(1次元のパワートレイン領域)の扱い方をモデル構築観点、開発プロセス観点の両方で、幸いOEM各社と比較的近い立場で、スクラッチから考えさせられたことは、その後の大きな資産となりました。
そこで10年働くうちに、用途も内燃機関の吸排気から熱マネや動弁機構などパワートレイン全般に広がり、一通りの経験を積むことができました。(大企業のような異動もなかったので)その会社でやれることはやりつくしたなと感じ、シミュレーション以外の世界も経験したかったし、ドイツの自動車開発への憧れもあり、ドイツの自動車エンジニアリング会社へ転職しました。
ドイツの自動車エンジニアリング会社は、ガソリンエンジン・ディーゼルエンジン・トランスミッションなど各領域において、設計・実験・シミュレーション担当のプロフェッショナルが揃っていました。プロジェクトに応じて、各部の人材が有機的にアサインされてチームを構成してそれをPMが束ねるというやり方で、過去の会社では経験したことのない多方面のプロフェッショナルなチームと共に仕事をできたことは、技術・プロジェクトマネジメントの両面から大変勉強になりました。
一方で、日本で技術部門を立ち上げるという計画もあったのですが、自分の力不足もあり5年たっても進めることができず膠着していました。難しかった大きな理由は、本社の大きなポートフォリオ(領域×担当)の中で、どこかのピース(例えばガソリンエンジンのシミュレーション)を日本に取り出したとしても、他のピースを本社に頼ってひとつのプロジェクトチームを構成するということにお客様視点でメリットが見つけられなかったことでした。
転機
そんな最中に、ディープラーニング技術のブームが始まっており、勉強会を企画してくださった先輩がいらっしゃいました。初めてPythonを触って、そのライブラリの充実ぶりに驚いたのです。プログラミング言語でありながら、「やりたいことがすぐできる」高機能。例えるなら、昔の職場で扱っていた(出来栄えのよい)シミュレーションソフトのようだと思いました。一方で、開発元がソースコードを開示しないシミュレーション業界と異なり、GoogleのTensorflow、NvidiaのGPUという最先端のツールが誰でも使える状態でした。

NVIDIAの株価(MSNより。ブームに乗って2018年頃から自分の勉強時間にだけ投資して、株には投資しなかったことが悔やまれます(笑))
データサイエンスを学ぶと、私には、自動車開発向けのアイデアが次々と思い浮かんできました。逆説的に感じられるかもしれませんが、データサイエンスではドメイン知識が重要とされています。情報処理技術だけでは、ものごとをうまく進めることは難しいのです。20年近い職業経験で得た自動車エンジニアリングの知識と、最先端のデータサイエンスツールがあるのなら、これらを組み合わせれば自動車エンジニアリングの課題解決に貢献できるだろうと考えました。
スポーツが教えてくれたこと
ところで、私は高校時代にラグビーを始めました。ルール上、ボールを持った選手が先頭で戦うラグビーでは、ボールを前に進めることが大切(サッカーのように数メートルでも前後方向にパスを回すことが、困難)で、自分の目の前にボールが転がってきた場合はとにかく確保して、即座に前へ進めることになります。状況が整うまで待ってからボールを拾うとか、ボールを拾ってから状況が整うまで次のプレーに迷う、という時間的猶予は無いのです。見通し不確定な状況でも短時間で判断して、とにかくボールを確保して前へ進める、その次のことは走りながら考える、こういう習性(あるいは耐性)がついていたような気がします。
起業
エンジニアリング会社で行き詰まり、データサイエンス技術という武器を得た状況は、ラグビーで膠着したモール(密集プレー)からボールがこぼれてきた状況に思えました。このボールを拾って前に進めてみよう、次のことは走りながら考えよう、そう決めて、くま力学研究所を設立しました。
目標
くま力学研究所では、データサイエンスを、現実のものづくりに役立てたいと考えております。
「とりあえず扱える範囲の情報処理」から脱却して、「本当にやりたい情報処理」を実現しませんか?
そうやって新しい知見を探しにいくことが、お客様の独創的なものづくりにつながると考えています。
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